2015年12月4日金曜日

同伴者


映画が終わって、外に出た。
 「腹、減ったな~」彼は大声で言う。
 「おいしいパスタを食べさせてくれる店が近くにあるんだけど、行く?」私は頬笑みながら、彼に言った。
 「パスタかあ・・・大盛はあるのかな?」
 彼の言葉に、私は思わず吹き出した。

私たちは歩きはじめた。
 今日は自然と彼の腕をとることが出来た。
 五回目のデートにして、初めて・・・・。
それまでは彼のシャツの袖をつまんで歩くのがやっとだった。
ようやく、ふたりの間から、ぎこちなさがとれつつある・・・・。
その実感が私の気持ちを幸福なものにした。

一ヶ月まえのある寒い夜。
ある書店で、以前から欲しかった翻訳ミステリーを見つけて手を伸ばすと、横に立っていた男性も同時に手を伸ばしてきた。
 「失礼」そう言って彼は手を引っ込める。
 「あ、いいんです、私、別の本屋さんで探しますから。どうぞ」私はあわてて言った。
 「いや、そういうわけにはいきません」そう言って彼は固辞する。
しばらく、押し問答がつづいた。

「じゃあ、こうしよう」彼はひとつの提案をした。「僕が、買います。そして、一晩で読んだあと、あなたに進呈します」
なかなかやるじゃん・・と思いながらも、私は同意してしまった。
 彼の笑顔に引き込まれてしまっていたから・・・・。
 訊いてみると彼は三十一歳。
 私と同じだった。
つらい恋の終わりを経験した直後だっただけに、彼のなにもかもが、私にとって眩しく見えた。
 彼も私と同じような時期だったらしい。
おずおずと交際を申し込んできた。
 断る理由など、私にあるわけがない。

彼と腕を組み、しばらく歩く間、私は幸福感に酔いしれていた。
このひとを、この腕を、私は絶対に離さない・・・どんなことがあろうとも・・・。

向こうから歩いてくる人々の中の、ひとりの女性から、すれ違う寸前に声をかけられた。
 「あら、懐かしい!」
よく見るとそのひとは、短大時代の先輩だった。テニスのサークルで一緒だった。
 私はあわてて彼の腕を離し、挨拶せざるを得なかった。
 「本当に、お久しぶりです」
 「そうね。」彼女はそう言ったあと、彼を見た。「彼氏?」
 「あ・・そ、そうです」私は赤くなってそう言った。考えてみれば、知人に彼を紹介するのは初めてだった。顔が火照ってくる。
 彼は「よろしく」と言って、ぴょこんと頭を下げた。
 彼女はなぜか、しばらく彼を凝視していた。
 顔が少し、蒼ざめている。
そして、私に言った。
 「あなたの携帯の番号、教えてくれない?」

彼女から電話があったのはそれから三日後、金曜日の夜だった。
 私は自分の部屋にいた。
 「あなた、私には見えないものが見える能力があるって言ったこと憶えてる?」
いきなり、彼女はそんなことを言う。
 「憶えています。それで有名だったんですもの」私は答えた。
 不安がじわじわ、足元から這い登ってくる。
 「こんなことを言うのはどうかと迷ったんだけど、あなたの身が危険だから、言わなくてはならないと思ったの。彼との交際は、やめた方がいいわ」
 「ど、どういうことなの?」
 心臓が高鳴りはじめる。
 「彼には、同伴者がいる。しかも、性質の悪い・・というより、最悪の同伴者が」
 「・・・・・・・・。」私は声も出ない。
 「あのとき、見えたの。髪の長い、若い女だったわ。真っ赤な服を着ていた。腰から下はなく・・・。どういうわけか、眼がなかった。」

電話を持つ手がぶるぶる震えはじめる。
 「彼女はおそらく、彼から手ひどい裏切りをされ、自殺しているんだと思うの。いや、彼自身が殺したということもあり得る。すさまじい恨みの念が伝わってきたわ。そして、それはおそらく、彼にちかづく女性にも向けられる・・・あなた、このままでは、危ないわ」

 私は震えながら、うしろを振り返った。
そこには彼がいた。
ソファにすわってマンガ本を読んでいる。
 彼の背後に目を向けた。
その薄暗い空間に、赤いものがぼんやり浮かんでいる。
それが、だんだんとはっきり、女の実像を結びはじめた。


(フィクションです)


0 件のコメント:

コメントを投稿