2015年12月6日日曜日

アベか?アベでないか?

今、僕ら主権者国民に提示されている究極の選択肢はそれだ。
それに尽きる、と、僕は確信している。
断言できる。

「アベでないこと」。
それは、澄み渡った晴天のように、くっきりと、僕らのまえに、「進むべき道」を示している。
何も迷うことはない。
「アベでさえなければ」いいのだ。
間違いではないのだ。

アベでないとしても、当然、いろいろな議論があって、対立があって、論争が惹起するだろう。
しかし、悲しむことはない。
なぜなら、それらは、「アベでない」からだ。
いろんな問題を包含しつつも、「アベでないこと」自体が、明日の可能性をひらくからだ。

「アベであること」は、僕らにとって、最大の不幸だ。
しかし、「アベでなくなったら」、一筋と言わず、二筋も三筋も、眼前に光明が指してくるのは、間違いないだろう。

「アベであること」は、最悪だ。
希望や、憬れや、夢や、歓喜が、すべて、閉ざされてしまう。
だから、否定しよう。打倒しよう。
「アベ」そのものを。
きっぱりと、なおかつ、はっきりと。

まったく、そのとおりですよ。
おっしゃるとおり。
惚れ惚れとするほどの、正論であられます。

日々、遂げられた人々に尽くしておられる貴殿に比べれば、平々凡々と、我れと我が妻が生きのびるためだけに、日夜、辛酸を舐めている自分など、ほんのちっぽけな存在でしかありません。

しかし、夫婦ふたり、爪に火を灯すような生活をしておりましても、充実した毎日を送っていますのは、言いたいことを言っても抑圧されることがない自由、他者を殺し、殺されることのない、戦争のない、じつに平和な社会に生きているからでございます。

そのことが脅かされる。
その瀬戸際に立っている。
あなたほどの人物ならば、とうぜん、その自覚はおありでしょう?
維新、次世代、民主党の一部・・。
たしかに、彼らは胡散臭い。
いつでも、仮面を脱ぎ捨てて、人権抑圧と、戦争できる国家への道を突き進む。
それは、あなたのおっしゃるとおり、目に見えている。
しかしね、いまだ彼らは「力」を持たない。
今、自由と平和と民主主義を希求する勢力にとって、もっとも脅威である存在は、言うまでもなく、安倍晋三と、それを取り巻く、極右グループでしょう。
なぜならば、彼らは「権力」を持っている。
同じ改憲勢力でも、維新、次世代、民主の一部とは、くらべものにならない、強大な力を持っている。

まずは、これを潰さなければ。
何よりも優先して、とりもなおさず、とりあえず、これに立ち向かわなければ。
あなたの仰るスタンスは、心情的には理解できます。
維新とか、次世代とか、本当に、ロクでもないです。

しかし、弱小なこいつらに拘って、貴殿のような原理主義的な態度をとるかぎり、確実に、勝つのは、安倍ファシスト政権です。
彼らが勝てば、民意を得たとばかり、留まる事のないファッショ暴走を驀進するでしょう。

中国ではかつて、共産党と国民党という、まるで水と油の政党が共同して、共通の敵である日本帝国主義に立ち向かいました。
こんどの選挙は、政権選択とか、政策選択とか、そんな生易しいものではありません。

人間選択、です。

安倍か、安倍でないか。
とりあえずは、安倍の息の根を止めるべきなんです。
すべての小難しい議論は、そのあとでしょう。
そこまで、われわれは、崖っぷちに立たされているんです。
以上は、約一年前の、わが日記だ。
情勢がかなり、変わっていることに、感慨深いものがある。
この選挙で「大勝」したアベは、一年の間に、秘密保護法制定、平和憲法の形骸化=戦争法可決に、大きく舵をとった。懸念どおりの動きを示したのだ。
 
惜しむらくは、この日記の、冒頭に紹介したツイートの主がシンパシーを感じていたのであろう日本共産党が、今のように、柔軟な対応をしてくれていたら・・と思うと、「少々、遅かったか」感が募ってくる。
 
ともあれ、「アベでない」選択が、本当に、いやマジで、僕らにつきつけられている。
その戦略、戦術を示してくれているのは、ことここに至っても、このひとなのだ。
このひとが5人もいれば、この国は、こういう体たらくに陥っていなかっただろうことを歯噛みするように思いつつ、どうか、以下のリンク先を熟読あられたい。
 
 

 
 
 
 
 
 
 

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