2015年12月5日土曜日

沖縄に行こう

「沖縄に移住しようか・・」
独り言のようにポツリとつぶやくと、奥方が反応した。
「え?どうして?」
「あ、俺、なんか言った?」たった今、目が醒めたかのような口調で返す。
「沖縄に住もうって」
「そっか、口に出して、言ってしまったんだな、思わず」

無理なことは、わかっている。
周囲の状況が、それを許さない。
子供たち、孫たち、認知症の義母、仕事、取引先・・・。
けれど、知事をはじめとして、ほとんどの住民あげて、国の横暴とたたかっているあの土地を、見捨てていていいのか。
そういう想いに、とらわれていた。

「すまないが、我々の犠牲になってくれ」
そんなことを言う連中に、「はい、承知しました」と従う者がどれだけいるだろうか。
無関心でいること、その「我々」の側に立っていること。
「いつも、あたしみたいな弱い人間の味方でいておくれ」
そう言い残して、20年前に亡くなった母親に顔向けができない。

「住むのは無理としても、決定的な事態になったら、なんとか応援に行きたい。それなら、許してくれる?」
「あなたの好きにしたらいい。そのときは、私も連れてって」
奥方は、そう言って笑った。
君を危険な目には遭わせられないよ・・。
その気持ちをのみこんで、僕は「ありがとう」とだけ、照れたように答えた。


この記事は、いろいろと示唆に富んでいる。
とくに、国=アベ政権の詭弁を暴露したところだ。
承認取り消しによって、今まで使ってきた423億円という税金がムダになるというロジック。
そのほとんどはずさんなアセスメントの作成や過剰な違法警備、コンクリートブロックの投入などで、まともな経費ではない
いまだ明らかにされない総事業費は優に一兆円を超えるであろう。今勇気ある撤退をすれば、税金のムダはなくなり貴重な海の自然を守れる。
裁判所はこうした国の詭弁や恫喝にまどわされず、本格的な審査を進めていただきたい。
自分らが無駄遣いしたカネが、「ムダ」になるというのだ。
まるで、放蕩息子の言い草だ。
ムダになるも、ならないもない。もともとがムダだったのだから。
それと、「国を相手に一地方が勝てるわけがない」という、「沖縄のことは無関心な日本人」の誰もが思っている「なんとなく」の感想だが、なかなかどうして、そうとも言えないことが書かれてある。
たとえ国が勝訴しても、取り消しがなくなって元の承認に戻るだけで、知事が承認権者であることは変わりない。
承認に付した条件(留意事項)違反や変更申請手続き抜きの工事を国が強行すれば、そのことを理由として知事は再度、再々度承認の取り消し(撤回)ができる。 
国は落ち度があるので、その都度、代執行提起訴訟提起という”いたちごっこ”を強いられるだけである。
加えて、知事や名護市長は新基地建設を阻止するためのあらゆる権限を行使できることは言うまでもない。
一年前の知事選における翁長氏の勝利が、いかに大きかったかということだ。
「民意」が、権力の横暴に抗することができなくて、なんの民主主義だろうか。








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