妻の弟は、さびれた地方都市の市会議員である。
来春、一期目の4年を終わり、二期目に挑戦する。
来春、一期目の4年を終わり、二期目に挑戦する。
彼の選挙は、やれ戦争法制がどうの、アベ政権の極右路線がどうのといった大きなテーマとは、無縁だ。いや、無縁ではないが、そういうことを言っていても、クソの役にも立たないのだ。
妻の実家の、おそらくは半径4キロほどの、村落の住民の利益を代表するにすぎないから。
1000票を超えれば、おそらくは当選の圏内に入れる。それほどの「民意」の代表でしかない。
だから、蜘蛛の巣のような「しがらみ」にからめとられて、身動きできないでいる。
その「民意」のあいだで行われる冠婚葬祭や、村祭り、果てはソフトボール大会、運動会、すべてに出席して、祝儀、不祝儀を包まなければならない。
顔を出さなければ、「どうして来ない。誰が議員にしてやった。あいつも偉くなったもんだ」となる。4年前の選挙から、そういうことを目の当たりにして、「地方政治」というものの、生臭さを感じてきた。
その「民意」のあいだで行われる冠婚葬祭や、村祭り、果てはソフトボール大会、運動会、すべてに出席して、祝儀、不祝儀を包まなければならない。
顔を出さなければ、「どうして来ない。誰が議員にしてやった。あいつも偉くなったもんだ」となる。4年前の選挙から、そういうことを目の当たりにして、「地方政治」というものの、生臭さを感じてきた。
僕も親族のひとりとして、彼の応援をしないわけにはいかない。妻は、時間の許す限り、実家に帰って、弟の選挙の準備を手伝っている。今このときも、実家に泊まり込んでいる。
じつは、明日、妻の一族の「親族会」が開かれる。
朝一番の列車で、僕は、それに向かわなければならない。
もちろん、選挙があるからだ。
連休中に実家へ帰っていた奥様が嘆息して、親戚の誰彼が「沖縄の人には気の毒だけど日本の為に我慢してもらわなければならん」ということを、酒の席で言っていたと。こういう利己的な「保守感覚」が、いまだ雑草のようにはびこっている。僕が奥様の実家で酒席に列するのを避けるのは、こういうことだ。
— 秦映児 (@hataeiji) 2015, 10月 14
このような事態がじゅうぶん予想され、今から憂鬱なのだが・・そろそろ寝なければならない。
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