2015年11月14日土曜日

一本のバナナ

かなり昔、「一杯のかけそば」という話が流行ったことがありましたね。
貧乏な親子が毎年大晦日に、ある蕎麦屋の一杯のかけそばを食べにくるという話で、日本中が涙したということでしたが、僕は当時、「なるほど、貧乏だ!」と思う以外、この話のどこがそんなに感動するのかよくわからず、「俺はもしかしたら薄情者なのか」と人知れず悩んだものでした。
時代としては、バブルがはじける直前、大都市の下町に地上げ屋が横行し、奥様向けワイドショーまでが、株式投資のコーナーを設けるほど、世の中は好景気に沸いておりました。
思うに、そういう時代だからこそ、こういう貧乏話が好まれたのかもしれません。
しかし、この話を全国を行脚して講演しまくっていた人が、実は寸借詐欺の前科があり、実話とされていたこの話そのものがまったくのつくり話であったことがばれて、「なあんだ」と、今度は日本中がどっちらけたわけですが・・・。

しかし、あの話で唯一、光ったと思うのは、「大晦日に北海亭(店の名)のかけそばを食べる」ことに執着する母親の、どんなに貧乏していても「食」に対する思いいれを忘れない心意気でしょうね。
よく言われるように「食は文化」です。
人間と畜生を分ける大きな違いは実はここでしょう。
人間が文化的な動物であるからこそ、「食」は実に多彩で豊潤な世界をこの地上に現出せしめたわけです。

前置きが思わず長くなりました。
で、僕はなにが言いたいかというと、まあ、今日食った「一本のバナナ」のことです。
実は糖尿病を宣告されていまして、現在は大幅な食事制限を強いられているわけです。
ここ何日か、空腹のあまり、日に何度か昏倒しそうになる毎日であり、だからこそ、「食」の有難さが身に沁みてわかるのです。
一日に150gの果物を許されていて、昨日はリンゴ半個、今日はバナナ一本を食べました。
食べてみて・・「バナナってこんなにうまい食べ物だったのか!」と感嘆してしまいました。
食べ物って本当に有難い・・。
幼い頃、親がやかましくご飯の前に手を合わせさせたの意味が、今更ながらわかる今日この頃であります。
今まで「食べ物」に対する姿勢が、いかに杜撰なものであったか・・・・深い、深い、反省の毎日を送っております。
 
 

 

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