2015年11月26日木曜日

メディアの緩慢な「自死」

メディアの報道に、これほどの「横やり」を入れてくる政権の存在を、生まれて初めて体感している。
「政権への批判」が、「公正・中立ではない」というのだ。
どうして、こういう言い草を、またメディアは許しているのだろうか。
情けないこと、このうえない。
 
TBS、「NEWS23」のメインキャスターである毎日新聞特別編集委員・岸井成格氏が、来春をもって降板になるという報に接した。
戦争法案にかんする一連の発言が、政権の逆鱗にふれ、おそらくは、強力な圧力が、局に襲いかかったのだろう。
また、官製の団体が、岸井氏個人を糾弾する「意見広告」を、産経、読売という札付きの御用新聞に掲載したということもある。
それにビビったというのか。
迫りくる「言論の死」に、何を手を拱いているのか。
七十数年前、軍部ファシズムのたんなる「広報機関」と堕した結果、どれだけの民衆を扇動し、死に追いやってきたのだろう。
「公正・中立」というのは、「権力の側に偏らない」という意味である
それが、国民を主権とする民主主義社会メディアの原則なのではないか。
七十数年前の痛烈な反省から、それが確立されてきたのではなかったのか。
 
つい、数年前を思い起こそう。
民主党政権成立前後のことである。
戦後はじめて、宗主国の言いなりにはならないという姿勢を見せた政治家が、総理の座に座ろうとしていた。
国民の血税を湯水のように使い、借金を増大させ、自分のフトコロを暖める、シロアリのような既得権益者を一掃しようとしていた。
それに「政治資金規正法違反」という冤罪で、検察を使った、その政治家に対する反攻が始まった。「国策捜査」だ。
そのときのメディア各社は、まるで恰も「反権力」のような姿勢で、その政治家、小沢一郎を叩きに叩いた。
また、そのあと成立した「鳩山政権」に対しても、沖縄問題を中心に、大バッシングを展開した。
「国民の生活が第一」という旗を掲げた、戦後もっともリベラルだった政権が、まるで醜悪な権力であるかのように叩かれたのだ。
ある日、亡くなった有名な俳優を追悼して、朝日新聞に以下のような漫画が掲載された。
 
 
 
 
ビン・ラディンや、金正日とともに、鳩山氏や小沢氏が、「仕置き」をされるべき「悪の権化」として描かれているのだ。
しかし、鳩山政権は、報道メディアにかんしては、じつにオープンな政権だった。(鳩山政権が行った政策(1)記者会見オープン化
どうして、このような政権は徹底的に叩き、今や報道の自由ランキング61位にまで堕ちてしまったアベ政権にはおとなしすぎるほど、おとなしいのか。

メディアの緩慢な「自死」は、、やがて、僕ら主権者国民の、「言論」や「表現」の死をもたらすだろう。
もちろん、戦争は嫌だが、もっともっと嫌なのは、「自由の喪失」に他ならないのだ。
 
 
 
 

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