2015年11月20日金曜日

あのひと


信号待ちをしているバスの座席から、なんとなく、窓の外の街角を眺めていた。
 日曜の昼さがり、一月とは思えない陽気の中で、ひとびとが忙しそうに横断歩道の上を行き交っている。
その中のひとりに目を止め、僕は危うく声をあげそうになった。

 「あのひとだ・・・。」

赤いダウンジャケットを着て、向こうの歩道から道路を渡ってくる。
さすがに、やや老けてはいるが、変わらない美しい横顔は、忘れようとしても忘れられない。そして、その歩き方・・。間違いはない・・・。

あのひとと僕は、日本にポリオが大流行した年の前年に生まれた。
 僕の母親は、赤ん坊の僕を表に出さず、よその子供との接触を異常に恐れた。おかげで僕は、ポリオに罹ることを免れたわけだが、二軒先に住むあのひとは、一生、不自由な足で歩かなければならない運命を背負ってしまったのだ。

あのひとは、それでも元気よく、近所の僕たちと遊んだ。
 気の強い女の子で、決して僕たち男の子に負けてはいなかった。
 「傷害」を感じさせることは、ほとんどなかった。
 裏山に探検に出かけたり、そこに秘密基地をつくったり・・・。
 僕とあのひとは、幸福な子供時代を共有した幼なじみだった。

十歳になった年、僕は父親の転勤で故郷を離れなければならなくなった。
 別れの日、あのひとは自分で作ったビーズの首飾りを僕に贈ってくれた。故郷の山河をあとにする車のなかで、僕はそれを首に架けた。

 風の便りに、あのひともこの僕が住む町に移り住んだことを聞いたのが、中学三年の冬。父親を亡くし、母親の実家があるこの町に越してきたのだそうだ。
そして、受験用の参考書を買いに行った本屋で、僕はあのひとと偶然に再会した。
 進む高校は違ったが、僕らの交際は、それから三年間つづいた。大学進学でこの町を離れ、京都に旅立つ前夜、僕らは初めて結ばれた。もちろん、ふたりとも初めてだった。

遠距離恋愛の常として、次第に僕らは離れていった。今とは違って、ふたりを繋ぐのは手紙と、親に遠慮しながらの、短い固定電話のみ・・・・。帰省したある夏の日、僕はあのひとがこの町を離れて、遠くへ行ってしまったことを知った。
 行き先はわからないままに。

ところが、結婚式を数日に控えたある夜に、突然あのひとから電話がかかってきた。「もう一度、逢いたい」という。
 逢うには逢ったが、そこで僕は数日後に結婚することを伝えなければならなかった。
 「そうね、そうよね・・・お幸せに」あのひとはそう言って、去って行った。
 後姿が寂しげだった。

・・・バスは郊外を走っていた。
 僕は外の景色を眺めながら、奇妙な思いに囚われていた。
あのひとはいつも、僕の人生の節目、節目にあらわれる。
 誕生、高校進学、大学進学、結婚・・。
そういうときに、いつも傍にいた。
だとすれば、今日の登場の意味はなんだったのだろうか?

バスは、国道のバイパスにかかる交差点で信号停車した。ここのバイパスは交通量が、激しく、しかも空いているときは、車のスピードもすさまじい。
すぐ前の運転席に座っている運転手は、信号停車するたびに何度も時計を眺め、落ち着きがなさそうだった。
バイパスの側の信号が黄色になった。
こちらはもうすぐ青に変る。
だが、まだ赤だ。
そのとき、バスは発進した。
 見切り発進だ。
 窓の外に急ブレーキの甲高い音を発しながら、大型トラックが僕の方に突っ込んでくるのが見える。
 衝突する直前のわずかな時間、僕は納得していた。
あのひとが、僕に死を告げるためにあらわれたということを。


(創作です)

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