2015年11月19日木曜日

一万歩を譲る

「一日一万歩以上のウオーキング」を自らに課して、4か月ほどが経った。
雨が降っても、槍が降っても、今のところは挫折せず、続けている。
劇的だと思ったのは、中性脂肪の値が、半減したことだ。
このことが、挫折を回避する、大きなモチベーションになっている。
一万歩あるくには、約100分ほどの時間を要する。

歩くコースはさまざまだ。
一番多いのは、家から近所への公園までと、広大な公園内を5周するパターンだが、さすがに飽きてきた。
それで、電子ブックで小説を読みながら、歩くことにした。
何度か塀にぶつかりそうになったり、側溝に落ちそうになったりしたが、しかし、退屈することはない。
おかげで、一日100分の読書時間を確保することができた。まさに、一石二鳥だ。
 
前置きが長くなったが、というより、前置きの部分が大半を占めるような形になりそうだが、その「一万歩」を譲ってでも言いたいことがあった。
僕は、戦争法案に対しては、むろん、大反対で、即時に立法化を中止させるべきだと思っている。
戦後70年間保ってきた、憲法に基づく平和主義こそ、いまだ憎悪と報復の連鎖で無辜の血が流される実態を止揚する、最先端の思想だ。

しかし、ここで一万歩を譲ってみる。「百歩譲って」という言い方を100倍強くした表現だ。
集団的自衛権が、ニッポンの民衆を守るために絶対に必要だと言うのなら、とてもそのようには思えないが、「一万歩を譲って」、仕方ないと無理やり納得して、できないことはない。
ただ、我慢ならないのは、憲法の立憲主義がないがしろにされることだ。
憲法を変えずに、憲法そのものの効力を形骸化してしまう。これが、常態化されることだ。
麻生太郎の言った、まさに「ナチスの手法」。
 
いちばん、憂えているのは、「言いたいことを自由に言えない社会」の到来である。
自民党のクソガキ、違った、谷垣テイイチ幹事長が、またぞろ「共謀罪」の成立について云々しはじめた。
パリの同時テロを奇禍として、また、それを口実として、いずれは、憲法で保障されている筈の「集会・結社の自由」を制限しようという策動だろう。
アベ政権が着々と整備しようとする「ファシズム体制」。
子や孫が、著しく自由を制限された社会で生きていかなければならないかもしれないという予感には、じつに耐えがたいものがある。
 
 
 
 
 

 

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