「線を引いてここからが自分の土地、向こうがあちらの国、その結果、奪い合いをしてどっちが得したとか損したとか、そのために兵をあげてどうするとか、そういうものに血気盛んになられても困るんです」
~安倍首相が“明治復活”旗印にする『坂の上の雲』、作者の司馬遼太郎が「軍国主義を煽る」と封印の遺言を遺していた~LITERA11/12作家の司馬遼太郎が、生前、代表作というべき大河小説「坂の上の雲」の映像化を、頑なに拒んできたというエピソードが興味深い。
映像化によって、日露戦争、明治国家が称賛され、再び「強いニッポン」を顕現しようとたくらむ勢力に利用される。
人生の大部分ともいえる膨大な時間を費やし、心血を注いで紡ぎあげた畢生の大作が、そんなことに使われるのは、「真っ平御免」という気持ちだったにちがいない。
自分も青春の一時期、夢中になって読んだ覚えがあるが、実に面白いと思うと同時に、「手放しの明治国家礼賛」が気になった。
それと、「政治」という要素を排した、一種のゲーム、将棋の対局のように、戦争における作戦、「戦略・戦術」という側面を、語っているところ。
バルチック艦隊を覆滅させた作戦参謀が主人公だから仕方がなかったのかもしれないが、そこを読んで「戦争って面白い」と感じてしまう自分自身を恐ろしくも感じた。
映像化されようと、されまいと、かつての日本帝国の復活を夢見る国家主義者どもに、利用される要素がいっぱいに詰まった小説であったのは、間違いない。
事実、1990年代にあらわれた「新しい歴史教科書をつくる会」の面々が、この小説を「バイブル」扱いしていたのを今でも覚えている。
あのときの、司馬ファンとしての憤りといったら、なかった。
エッセイなどを読めば、司馬氏が、徹底した反戦主義者だったということがわかる。 戦車連隊の小隊長として、大陸に配属された経験から、戦争というものの愚劣さを、自分の五感すべてで理解していたのではないか。
司馬氏が次にやるべきことは、たまたまロシアに勝ってしまったために、その後に驕りに驕ってしまったニッポン軍部の腐敗を描くことだったと思う。
事実、晩年には「ノモンハン事件」の資料を渉猟し、いずれは作品化するつもりだったようだが、それは果たされなかった。
ニッポン陸軍の腐敗と堕落が主な因で大敗に終わったあのいくさを描くことによって、「日露戦争バンザイ」とやってしまったこととのバランスをとろうとしたのだろうか。
(次回に続く)
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